ダイエットのROI(1)

体重や体脂肪は測定できるのか

If you can't measure it, you can't improve it

測定できないものは改善できない

とはウイリアム・トムソン、すなわちケルヴィン卿に帰せられる言葉である。 我々成人の場合、ダイエットにおいて測定されるのは体重である。*1

 

では体重は正確に測定できるのであろうか?

 

実際にはこれはかなり疑問である。例えば私の体重計は、昨日の朝には53.9kgと表示していたが、帰宅後再度測定すると53.15kgを示していた。

 

では私の昨日の体重は一体いくらであったのか?

 昼食のうどんはそこに入るのか入らないのか?

 

ダイエットのROI:体重に代わる指標の必要性

この議論への深入りは避けるが、結局「真の体重」なるものの測定は意外に困難であり、そんなものは存在しないのかもしれないという点を指摘したい。尾籠な話だが、排便の前後では体重が2kg違うのはあり得ることだ。つまり、短期的に1kg増えた減ったというのはあまり意味がなく、体重は長期的な変化や傾向を捉える必要がある数字だということだ。

 

健康上、美学上太り過ぎ、痩せすぎの体型というものは存在するのであって、健康な身体や美しい容姿を獲得するために禁欲を行うのがダイエットである。禁欲(投資)で健康や美容(リターン)を手に入れる試みがダイエットであると見るならROI(Return on Investment; 投資利益率)を問題にしなければならない。

 

禁欲あるいはそれに伴う苦痛の数値化は全く不可能である。しかしながら直接感覚できる。一方、健康や美容にどれだけ近づいたかを数値化するにはどうしたらいいか。「体重」や「体脂肪率」が最適な指標なのであろうか?

 

体重は健康や美容に極めて密接な関係があるものの、測定には不確実性があり意味のある値を得るには少なくとも数日に渡る長期的な観察が不可欠である。これは自身のダイエットが現在順調に推移しているかを判断するには数日を要するということでもある。

体脂肪も同様であり、さらに不確実性は高く信頼性は低い。

 

「克己心」という資源

我々は日々様々な欲望に晒されている。美酒、美食、怠惰、不摂生。こうした誘惑は突如として心に浮かぶ、あるいは友人たちからもたらされるものである。文明人としてこれらの制御は必要だが、完全に否定するのもまた人間性を欠いた考えだ。美酒や美食を節度を持って時には当意即妙をもって楽しみ、かつ美や健康に近づかなくてはならない。

 

しかるに、美酒や美食や誘惑の埋め合わせにどのくらいの禁欲をすればよいのか?自分がした禁欲は埋め合わせに十分なのか過大なのかあるいは不足しているのか、それが分からなくては、あるいは分かるのが数日後ということであれば、ダイエットは失敗しやすくなろう。人間の克己心は限られた資源なのである。

(続く)

*1:「体脂肪を減らす」のを目的とする場合もあるが、体脂肪計が示す数字がどのくらい信頼できるか?かなり疑問だ。長期的な傾向や水準の目安にはなるかもしれないが。